チョコ煮

チョコ煮

いろんな素材をチョコで煮ます

幸福論(種)

先日のカウンセリングで、そういえば自分にとって何が幸せかあまり意識したことがない、という話題になった。

人の目を気にする≒人にとってプラスの存在であろうとする、ということに比べれば、確かに自分の幸福について考えたりふるまったりしてこなかったように思う。

 

では、何しているときが幸せか。

ぱっと思い浮かんだのは、何かおいしいものを食べているとき。

あるいは、親しい人と一緒にいるとき。

あと、過去の話をすれば、受験に合格したときとか何かの資格を取れたとき、あるいは何かを作って完成したとき。そういえば、最後にプラモを作ったのはいつだったか。

 

では、どれが一番心にささるか。

思うに、幸せは表層的なものから深く心にしみいるものまでグラデーションで階層が分かれている。

上の3つの例ならば、食べてる幸せは割と表層的、親しい人と過ごすのは割と深め、何か成し遂げた時が多分一番深めなのかもしれない。

 

では、どのようにマネジメントすればいいか。

一番深そうな自己実現的幸福ならば、自分が成長していく過程を実感しやすいものがよさそうだ、とのアドバイス←なるほど。

さらに言うと、時間をかけたものほど幸福感は大きいのでは?←それはあるかもしれない。

食べ物については一番手軽に幸福を得やすいし、そんなに手間はかからない。

 

なれば、ごほうびスイーツ的な食欲の幸福と自己実現的幸福の2本立てでいくのはどうか、という結論に至った。

 

あとは自己実現的・モノづくりの幸福といえば何をすればいいのか、という問題がある。これについては何か面白そうなものを見つけてみよう、ということで話が一段落した。

 

ようするに何らかの「ライフワーク」を作ればいいのだが、何が適当かはこれから探すつもりだ。

 

思えば、幸福は「すでにあるのを探すもの・見つけるもの」という狩猟・採集的な意識が強かったが、幸福を「作って育てる」という農耕的な考えは持っていなかった。

 

幸せの種を蒔いて育てよう

来るべき収穫の日を思い描きつつ

 

……というのは比喩のつもりだったが、あるいは植物を育てるのは一つ有力な幸せの源になるかもしれない。