チョコ煮

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チョコ煮

いろんな素材をチョコで煮ます

awakeningsとか賢者モードとか

業務連絡的に最初に書きますが、以下に書かれている事柄について、悲観的になっているわけではありません。別に人生を投げたりとかそういう行動には出ませんのでお願いします。

 

賢者モード」については、男性読者の方はご経験のとおりで、女性読者の方は男性特有の生理的現象ですよ、という程度にお考えください。

 

それはともかく、前回の処方で以前飲んでいた漢方薬を精神科でも出してもらうことになりました。漢方薬にたどり着いた経緯はこちら。

 

bittersweetchocolate.hatenablog.jp

 

 

しかし、体質が変わったのか、薬のメーカーが違うのか、薬を飲み始めても以前のような劇的な気持ちの変化は感じませんでした。

何となく下支えになっている、と自分に対するある意味プラセボ効果をもたらすように考えていたのですが、どうも本当に効いているのか分からない。

ただ、ちょっと立ち止まって考える作用というのがもしかするとこのお薬にはあるかもしれません。

今日いろいろ考える機会があって(と言ってもレストランで食事して、ケータイ機種変更に付き合って、カラオケに行っただけですが)、自分が普段とっている行動や思考様式の中に、他人がどんなことを考えて、何を大切にして何を取捨選択して生きているのか、ということに配慮する要素がほとんど無いということに気づきました。

 

一言で言えば、自分が自意識過剰あるいは自己中な人間であると再認識した、というだけの話です。

 

もしそうではないと反論する方がもしいらっしゃるなら、それは、今までは人付き合いの定石として自動的に行っていたか、または、ある種の美徳を自分が持ちたかったために一般的な決まり事として盲目的に守っていただけで、その意味について考えることをしてこなかった、ということに変わりはありません。

 

しかし、ではどうすればいいのか、何をとっかかりにしたらいいのか、正直なところよく分からない。

他人がどういう価値観を守って生きているのか推し量るのは相当大変なことなのではないかと、つくづく考えさせられます。というか、対人関係を深めていかないと、その人が何を考えているのかなんて分かりませんよね。

 

取りうる方法としては、2つあると思うんです。

 

  1. (演繹的なアプローチ)この人はこういう価値観を持ってそうだ、とか仮定して、だったら、こういうことをされると気持ちが良くて、こういうことをされると嫌な気分にさせてしまうと考える。
  2. 帰納的なアプローチ)今までの経験を元にして、この人はこういうことをされると不快感を表したり、こういうことをされると喜んだりするので、こういう価値観を持っていそうだと推定する。

 

今まで私がとってきたアプローチというのは、主に1の演繹的なアプローチで、「平均的な日本人」の価値観を仮定するというやり方だろうと思います。

でも、「平均的な日本人」の内に完全に当てはまる人などいないわけで、そこからのズレを2の帰納的なアプローチで埋めていくしかないわけです。

しかし、どうもそこがうまく機能していないような気がしています。

つまり、人の行動を見て背景の心理を考えるというのがうまくできない。

となると、どこまでが自分の至らなさのせいなのか、どこから統合失調症のせいなのか、いまいち判然としなくなります。

ただ、それを病気のせいだけにして、自分でなんとかしなければならない場面で怠ることは避けないといけません。

自分の対人不安も案外この辺のズレ修正機能の不全が関係しているような気がします。「気がします」程度なのですが。

 

本来ならば上に書いたようなことをごちゃごちゃ考えてないで、友達を作れよ、実践しろよという話なのかもしれませんが、気になったので書いてみました。

 

繰り返しになりますが、以上のようなことをちょっと俯瞰的に見られるようになったことが、ひょっとすると漢方薬の作用だったりするのではないか……と楽観的に考えることにします。