チョコ煮

チョコ煮

いろんな素材をチョコで煮ます

シゾフレ第8回(全11回)

前回のお話

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私のケースレポート:入院生活

気がつくと私は白い部屋にいた。
ベッドで仰向けになり、両腕は固定されている。
尿道にはカテーテルが挿入されている。
私は一人その部屋にいる。

その部屋でどうやって過ごしていたのか、記憶が曖昧で思い出せない。
意識が戻った時点でカテーテルは外され、両腕の固定もたしか外されたような気がする。部屋の隅には便器がある。

看護師さんが食事を持ってくる以外は全くやることがない。

2、3日すると大部屋に移され、それまでいた部屋が保護室であったことがわかる。

大部屋には様々な人がいた。

UFOに機械を頭に埋め込まれたと信じて疑わない人。
片腕のないうつの人。
カーテン閉め切りでどんな人なのか全くわからない人。
(それぞれのベッドはグリーンのカーテンで覆われており、閉めることで中が見られないようになっている)

病室から出ると、さらに様々な人がいた。
なぜか一様に廊下を行ったり来たりする人達。
自分は神の遣いと疑わない人。
そこは閉鎖病棟だったのだが、病棟内に喫煙室があり、そこで談笑する人々。

携帯電話や財布などは一切合切ナース・ステーションに預けられているようだ。

大部屋に移ってから1週間位は何かすることを禁止され、食事以外は日がな一日ベッドに横たわって過ごした。
20時くらいになるとすべての部屋の人々が集められ、看護師さんたちの目の前で服薬した。私も例外ではない。
就寝は21時ということになっており、電気が消される。

その1週間の最中だか後だか記憶が曖昧だが、何種類かの心理・知能検査を受けた。
確か、バウムテスト、SCT(文章完成法テスト)、P-Fスタディ、あとWAIS-Rを受けたと思う。
医師からの病名の告知などは特になかった。

私は結局3ヵ月そこに入院することになるのだが、最初の1週間を過ぎると非常に暇になる。
三度の食事が何よりの楽しみで、食事が近づくと配膳カートが来るまで先に待っていた。どうもこの行為が幼稚で退行している、という説明を医師から受けたと、後で親から聞かされたが、本当に暇で食事しか楽しみがなかったからそうしていたまでだ。

徐々に行動制限が緩やかになると、一日中本を読んで過ごしていた。
指輪物語」と「源氏物語」を読破した。自慢ではなく、それくらい長いものでないと間が持たなかった。

更に制限が緩やかになるとリビングルーム(というべきかよく分からないが)で過ごすようになり、榛野なな恵Papa told me」が置いてあったのでそれも置いてある分は全部読んだ。

音楽が聞きたいと、ウォークマンを親に持ってきてもらって聞いていたが、当時聞いていた伊集院光深夜の馬鹿力」だけはどうしても聞きたかった。
そこで、ウォークマンを聞いているうちに眠ってしまった体を装い、看護師さんの巡回のたびに寝たふりをしてこっそり聞いていた。今考えると絶対バレてたが、特に咎められることはなかった。

閉鎖病棟から外出してもよくなった頃、作業療法に通うことにした。
病院内に精神科の作業療法室があり、そこではパソコン、木工、皮革加工、ビーズ細工、陶芸、切り絵、パズル、料理などけっこういろんなことができた。
暇だったのでそこでできることは大概こなしたと思う。
余談だが、その時作った椅子と切り絵は未だに自室の一角に置いてある。

そんな感じで病棟生活を送っていたのだが、その中では独特のミニ社会というか、人付き合いというか、外とは違う人間関係が構築されていた。

廊下を行ったり来たりするのはなぜだろうと疑問に思っていたが、聞いてみるとどうやら運動の一環らしいこともわかった。狭い病棟なので廊下を歩くくらいしか運動する機会がないのだ。それ以来私も廊下を行ったり来たりするようになった。

2ヵ月ほどで外泊できるようになり、3ヵ月目に退院できた。

UFOの人は障害年金を元手に社会的入院で暮らしていく、と言っていた。
片腕のないうつの人とは退院が決まったくらいの時に語り合う機会があった。

しかしながら、彼らが今どうしているか知るすべはない。