チョコ煮

チョコ煮

いろんな素材をチョコで煮ます

【チラシの裏・超長文】暇つぶしにつらつら考えてそのまま書いた

きっかけは、お金。今の暮らしを続ける分には問題ないけど、理想と現実はなんか乖離している。

どうすればお給料を上げることができるだろう。

 

転職は難しいしリスクが大きすぎる。出世・昇進できればお給料上がるよね。

では、どうすれば出世・昇進できるだろう?

昨日「カンブリア宮殿」見てたんだけど、社長ってみんな会社にとって利する将来像・ビジョンを提示できるじゃないですか。

だから、会社の利益になることを明確に提示して、より貢献できるようになれば出世できるんじゃない?

 

私の勤める会社に貢献するってどうすればいいんだろう。

業種プロパーな貢献ができればいいんだけど、専門的すぎて難しい。無理だな。

私はIT部門で働いているけど、一般の社員と競争して勝てると思えない。私、障害者だし。

障害者として会社に貢献する?まあ私の独自性・アイデンティティそこにあるかもしれないけど、どうやって?

(この話題は一旦保留にする)

 

そもそも障害者はなぜ働かなくてはいけないんだろう?

 

・人は働かなくてはならない。義務である。

・障害者は人である。

→ゆえに障害者は働かなくてはならない。

 

思うのは2点。

1. なぜ人は働かなくてはならないのか?

2. なぜ障害者は労働を免除されうるのか?

 

2. は、それでも最大限、自分のできる範囲では働かなくてはならないのではないか?

健常者と比較して働ける制限があるから、働けないから働かなくても仕方ないかも。

 

1. を少し言い換えるなら、1‘. 何のために人は働くのか?(1は働く理由、1‘は働く目的)

まあ、お金をもらって生計を立てるためですよね。

他には、社会に貢献するため。「貢献」というのが抽象的なら、社会を維持する・変えるために働いている、と言い換えられるだろうか。

「社会」という言葉もピンとこないので言い換えると、今の文脈なら「会社の活動を維持する・変化させるために働く」、もっと言えば「会社の維持・収益向上のために働く」となる。言葉にすると当たり前のことだな。

さて、障害者として会社の維持・収益向上に貢献するにはどうしたらいいのだろう?

(思い付かないので、一旦保留にする)

 

私にとって働く理由は他にもあった。

働くことで自分を高めることができるし、高めたい。

自分の何を?と言えば、技術・知識・人間性だろうか。

今の自分に満足してないんだよね。向上心はとりあえずあるのだろうか。

 

ここまでつらつら考えて、そもそもなんで周りくどい話をしてきたかと言えば、現状に行き詰まりを感じてたし、自分が本当は何を考えているのか見つめ直したかったからと言える。

 

思えば自分は誰かの期待する自分を演じる癖がある。周囲に合わせがちなところがある(いわゆる「よい子」的とも言える)。

でもそれは行き過ぎると破綻する。

あと、自分や現状を否定的に捉えがちかもしれない。悲観的なのかな?もうダメだと諦めがちかもしれない。

でもよく考えると諦める必要はないことにも気づける。実は楽観的かもしれない。

 

(ここまで考えて、今、自分はもうダメだと諦めてしまいそうだったことに気づいた。実は地味にピンチだった)

 

ただ、相手に合わせて自分を変えることができるという点ではある程度の柔軟性は持っているのだろうか。でも行き過ぎで破綻するくらいなのでキャパシティはあまりないのだろう。

自分で自分の限界を測るのが苦手だったり、忘れてしまいがちだったりする。それが高じると無理しがちで無理を自覚しないことがあるかもしれない。

自分で自分のことがわからない、とは思う。しかし、それで不安になるというより、むしろ好奇心が勝る。自分のことを自分で知りたいし、わかると楽しい。自分と対話するのは好きだったりする。

 

思えば、いろんな争い事がしんどくて自己破綻したのも、「競争」に勝つためには自分のエゴを最大限むき出しにして相手に主張してぶつかり合うことが必要で、それが嫌だったからかもしれない。

「わかると楽しい」と直前に書いておきながら、「自分のエゴ」を知ったり考えるのは嫌だし怖い。自分の「ツルツルした」ところに触れていたい。「トゲトゲした」ところに触れたくない、というかそもそも「トゲトゲした」ところなんてない、と思いたい。

言い換えるなら、自分のポジティブな面には言及したいが、ネガティブな面には言及したくない。一言で言うなら「ええカッコしい」だ。

「誰でもそうなのでは?」とも思う。いや、それは相対化・一般化して逃げたがる気持ちの表れか。話をはぐらかせて逃避したいのかもしれない。

さて、ポジティブな面ばかり見て自分を有能・価値ある者と思いたがる節がある。我ながら自分はナルシストだし自己愛が強い。それはひいては自分に「万能感」を持ってしまう病理につながる。

 

漠然とした将来の不安を「万能感」を強めることで解消しようとする病理がそこにある。

 

対処方法は2つある。

1. 「漠然とした将来の不安」を具体化・形を与える

2. 「万能」でなくとも生きていけるということを確かめる

 

1. について、ネガティブな面を意識しすぎて「幽霊の正体見たり 枯れススキ」の「幽霊」の状態にまで肥大化させてしまっている。

むしろ具体的に列挙するくらいが良いのではないだろうか。考え方も抽象思考に過ぎるキライがあるので、ここはひとつ、日常場面の具体例に落とし込んでみることが必要だろう。

 

2. について、万能感を手放すことについて。

「競争」に、というと抽象的なので具体化して、いわゆる受験戦争、もっと言うなら成績で優劣が決まってしまう学生生活について。

入試に絶対合格する方法はない。どんな問題でも解けるということはあり得ない。どれだけ勉強しても不合格になる可能性はゼロではない。同様に、勝負に絶対はない。つまり必勝の一手は存在しない。

どんなに頑張っても入試に落ちるかもしれないし、勝負に負けるかもしれない。この不安に身を晒すのが耐えられない。

では、落ちたり負けたりしたらどうなるのか?そこには「カタストロフィ」がある。つまり、終わる/死ぬ。それは怖いので不安に思う。

 

でも実際には日常/人生は続く。

 

カタストロフィで奈落に落ちると思っていたが、実際はベッドから転げ落ちる程度の落差だった。

 

(一度)負けたからと言って、自分が完全に損なわれてしまうことはない。万能でなくなったからといって、自分が完全に損なわれてしまうことはない。

(と、自分に言い聞かせている感じがあり、正直まだ怖いのだろう)

 

落ちるのはまだ怖いし、万能でなくなるのはまだ怖い。

「落ちる」のは失敗体験だし、「万能でなくなる」のは痛みを伴う。それらは不安を生み、耐えがたいものとなる。

 

不安とは安全でないこと。行き着く先は苦痛かもしれないが、実は快楽かもしれない。不確定であることの表裏ともいえるが、その振れ幅に耐えられない。

 

ただ、私はジェットコースターに乗るのはわりと好きだったりする。ジェットコースターは比喩でなく、リアルに遊園地にあるあの乗り物だ。

だからといって、「ジェットコースター」を日常にしたいとは思わない。確定の、平穏な日々をつつましく過ごしたい。

 

・ジェットコースターは安全な乗り物だよね。

・ジェットコースターに乗ると、その体験は色鮮やかで生きてる実感が湧く→ドキドキハラハラしたい?

 

もっと自分を労う・いたわることをしても良いのでは?と思う。

 

(だんだん訳がわからなくなってきた。疲れたのでここでおしまい。)